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GS過疎地に移動給油車を検討

ガソリンスタンド(GS)が目に見えて少なくなっていることはお気づきでしょう。

低燃費車がドンドン発表され先を争うようにハイブリット化へ突き進んでいる上に13年1月末までに貯蔵用タンクの改修を義務付ける規制が出来てその経費負担に悲鳴を上げた経営者たちが事業の継続を断念し廃業を決めて行くようになりその減少は1994年のピークから2013年までに4割にも及んでいるそうです。

都市部やその近辺では少し走ればまだ数件のGSにたどり着けるでしょう。

ところが、地方の過疎地ではそうも行きません。

町で唯一のGSなどという命綱とも言えるようなところが閉店に追い込まれています。

地方の過疎化や人口減少による売上減が大きな要素ですがバスも通っていないような土地柄では自家用車の存在や農業機械への給油は絶対条件です。

このようなGS過疎地には今の現状は本当に死活問題でしょう。

そのような状況に地方再生を旗印にしている安倍政権がやっと重い腰を上げる構えを見せてきたといったところでしょうか。

ガソリンは灯油や軽油に比べ引火性が強いため給油装置の開発など課題はあるようですが地方再生を掲げるならこの移動給油車の問題は早急に進める必要があるでしょう。

本当に生活に密着した緊急の問題だから・・

デング熱冷めやらず明治神宮閑散

先日、原宿に近い場所へ行きましたので、足を延ばして原宿駅と神宮橋あたりを見てきましたが人が少なかったですね。

平日の昼ごろの時間帯ですから今までですと修学旅行の生徒が竹下通りを占領しているのですがまずその姿が見えませんでした。

代わりに目に付いたのが外国人観光客でした。

修学旅行の生徒たちがいない分彼ら外国人観光客が多く見えたのかもしれません。

RIMG2123神宮橋を渡ったここにも人はいませんでした。

数人の人とすれ違いましたが中国人か韓国人の旅行者のようでした。

旅行者で有れば日程を組んでその通りにスケジュールをこなしてして行くのでしょうから危険を承知で予定通りに行動しているのかもしれません。

その分日本人は近寄る人は少なくなっているようです。

新たに上野公園で蚊に刺された人が発症したと言います。

蚊の行動範囲はせいぜい半径100メートル等と専門家の先生方は言っていましたが「蚊が電車に乗って移動する」という現実さえご存知なかったようです。

私自身がローカル線でしっかりと目撃し手で叩いて殺しましたがまさしく電車の中に蚊がいました。

デング熱が広まり始めた頃ごく限られた範囲にしか影響は出ないと言っていた事が今回の拡大につながったと言えるのではないでしょうか。

机上の論理だけでものを言う専門家と称する人たちにもっと現実を学んで欲しいものです。

 


 

 

 

 

 

電卓さえない時代に東京タワーはどうやって作られたのか

スカイツリーが開業して1年以上が経ち観光客の数も落ち着き始めたようですがスカイツリーより東京タワーの方が好きと言う人が結構多いようです。

でもそれはノスタルジックな思い出を抱いた中高年の人たちのようですが・・・・

ところで、タイトルにもしましたが東京タワーが開業したのは昭和33年、1958年12月の事です。
建設が始まったのは1957年(昭和32年)6月29日の事だと言いますから実質の工事期間は1年半余りと言うスピード工事だった訳です。

一般的に電卓が使われるようになったのは1970年代ですからこの東京タワー建設時には電卓さえなかったという事になります。

それでは東京タワーの設計図はどのようにして作られたのでしょうか?

当初、東京タワーのライバルはフランスのエッフェル塔で目標とする高さは380メートルだったそうです。

候補地は上野近辺もあったそうですが日本の地震や台風などの外的要因を考えて東京礫層地盤がより浅いところにある増上寺近辺に決まったようです。

東京礫層地盤と言うのは強固な地盤のことで超高層ビルも、パイルはこの東京礫層まで打ち込みます。

その強固な土地はもとは芝増上寺の土地であったものを買収され、その上に立つタワーの設計は当時名古屋テレビ塔や通天閣などの設計をしていた内藤多仲と日建設計が担当しました。

ただ、先にもあげたように地震や台風などのある日本で揺れ幅や風の抵抗などを考えギリギリの鉄骨の強度と耐久性を考えて設計した結果333メートルという高さが限界という結論が出されたそうです。

その計算の手段が電卓さえも無い当時唯一計算道具として使われていた計算尺だったと言うのですからびっくりですね。

計算尺目盛と目盛を合わせると計算数字が表示される仕組みになっているそうですが、これは大変な作業だったと思います。

実際、内藤は綿密な計算を繰り返し、3カ月もの間計算尺と格闘し約1万枚もの設計図を完成させたそうです。

そしてその設計図をもとに東京タワーを完成させたのが鳶職と言われる職人たちでした。

東京タワーとび職高所恐怖症の人が見たら見ているだけで怖くなってしまう写真です。

東京タワー建設中このとび職の人たちがリベットを1本1本打ちこんで東京タワーを作り上げて行ったのです。

リベットは168,000本、本締めボルトは亜鉛メッキ部材の現地接合に45,000本使用しているそうです。

このように建設された東京タワーは文字通り東京のシンボルとしてスカイツリーが出来る2012年5月まで日本一の自立鉄塔でした。

スカイツリーに高さでは譲った東京タワーですが今でもイベントや季節感に合わせたライティングを行う等多くの人の心の中でいまだに強烈な思いで記憶に残しているのではないでしょうか。